活動報告
チーム員日記は認知症初期集中支援チーム員の体験に基づいた創作(フィクション)です。
毎月1日に、全13回シリーズでお送りする第7回です。(第6回の記事はこちらから)
万次郎さん自身は、介護サービスの力を借りなくても生活出来ると思っていました。そのため、介護保険の話には触れずに、チーム員が訪問する日に家にいてもらうことになりました。
初めて訪問した日は、万次郎さん、息子の隼人さん、隣人の北村さん、地域包括支援センター職員、認知症初期集中支援チーム員が集まりました。
最初の10分は皆で話しをしましたが、途中からは万次郎さんと、隼人さん・北村さんに分かれて、支援者が別々に話をしました。
この日は、予定通り介護保険の話はせず、万次郎さんの人生史を教えて頂きました。
この日は、予定通り介護保険の話はせず、万次郎さんの人生史を教えて頂きました。
万次郎さんは、愛する奥さんを看取った後、老人大学でパソコンや写真の撮り方を教わり、旅先で美しい風景や建物の写真を撮っていました。国内だけでなく、海外の写真を見ながら、楽しそうに教えてくれます。久しぶりに他人と世間話をし、充実した時間を過ごせたようでした。チーム員が「また、来てもいいですか?」と尋ねた時は即答で了承し、カレンダーに記入するように希望しました。「名前も書いてほしい」と言われるので、カレンダーの日付にマルをつけ、名前と訪問時刻を記入しました。
隼人さんは、「物忘れをしはじめた万次郎さんに、自分たちと一緒に暮らすことを提案したが、『死ぬまでここで暮らす』と言って聞きません」と、教えてくれました。隼人さんもどうしてよいのか分かりませんでした。隼人さんは、仕事が忙しくあまり実家に帰れないので、帰った時には、お父さんの話をしっかり聞こうと思って帰ってきます。しかし、近隣の人に迷惑をかけていることが気になり、ついつい口うるさく言うようになりました。「夜中に北村さんの家に行っては迷惑だ」と注意すると、万次郎さんはそれを覚えていないので、「夜中に人様の家に行くような非常識なことはしていない」と、大きな声で反論するため、喧嘩になるのでした。
介護保険を申請するために病院受診も促しますが、自覚症状がない万次郎さんは、「どこも悪くない。病院は行かない」と言うのみで、病院に行くことが出来ません。隼人さんは、「頑固おやじで言い出したら聞かないので、本当に困っている。50年以上病院には行っていない難しい人です」と、ボヤいていました。
チーム員は、息子さんと万次郎さんの思いを少しずつ知っていきました。 次回は、当時の万次郎さんについて、チーム員が把握したことをお伝えします。 |