各種行事
花祭り
毎年4/29(祝日)に開催。
新緑、初夏の風が薫る心地のよい季節、毎年地域の皆様をお招きし開催される病院最大の行事です。
- ステージ:地元中学・高校の吹奏楽、バンド演奏、ゲスト出演等
- 屋台:焼きそば、うどん、綿菓子、アイスクリーム、風船釣り、バザー等
- その他:お抹茶会、骨密度測定、相談会(健康、栄養、介護など)、各種展示物、ドッグセラピー等
花まつりの歴史
花まつりの起源は、今から50年以上前(1971年)より行われていた、院内行事のお花見に遡ります。
当時、精神障害者に対する社会的偏見は強く、遠足などの院外行事に参加できるのは、家族が同伴できる一部の方に限られていました。
参加できない方がさみしい思いをしないようにと始まったのが、院内グランドを利用したお花見です。当時、院内には桜の木がなく、色紙で建物や木々を飾りつけるところから始まりました。
グランド内に屋台や舞台を設置し、軽食の提供や病棟からの出し物など、年々様々な工夫を取り入れながら院内の恒例行事として定着。
その後、近隣住民の方にも参加していただきたいと、グランドの門扉を地域に向け解放。
院内関係者のみで行われていたお花見は、年々規模を拡大し、地域の方を招いて行う現在の『花まつり』へと変わっていきました。
やっさ祭り
今から約460年前、永禄10(1567)年に始まった、三原を代表する県内でも有名な夏祭りです。
8月中旬の三原市内は、3日間にわたってやっさ一色となり、夕方になると町の中心部を100近いやっさのチームが練り歩きます。知名度では徳島の阿波踊りにかないませんが、踊りや熱気は阿波踊りを彷彿とさせるものがあります。
三原病院やっさ祭りの歴史
昭和54年、初参加でチームワーク賞に輝く華々しい幕開けで当院のやっさの歴史はスタートしました。
準備を始めたときは、総参加者も20名に満たず、職員でやっさ踊りを経験した者は3~4名だけ、という状態でした。しかし理事長(当時)から、着物100枚を作るからみんな参加するように、と声掛けがあり、理事長を先頭に病院あげての参加となりました。
昼休みは勿論、勤務終了後に福祉会館で行われた「やっさ踊り保存会」による踊りの練習に毎週参加して、初めてとは思えないほど全員が上手に踊れるようになりました。
本番では、イチチョン、ニィチョン・・・と全員がそろってリズムを刻み、客席からの「あれはどこのチームや」と感嘆の声を聴きながら気持よく踊った、と当時を知る職員は回顧します。
三原市の代表として、両陛下ご臨席の全国植樹祭、皇太子ご夫婦ご列席の国民文化祭へ参加したこともあります。また、高知市で行われた全国福祉祭りには、保健所の依頼で三原病院の単独チームで参加するなど、対外的な行事にも多数参加させていただきました。
近年は踊りだけでなく、地方(お囃子)にも力を入れ、唄、三味線、太鼓、笛を2~3か月前から練習し踊りを盛り立てています。
過去、やっさ大賞13回受賞と輝かしい歴史をもっています。成績だけでなく、今後もみんなが楽しくかつプライドをもってやっさ祭りに参加していければ、と思っています。
地域交流
地域への退院が当たり前に叶わなかった時代。
当時職員の「地域にもっと理解者を増やしたい」との思いから、1991(平成3)年、三原市社会福祉協議会全面協力のもと、市民向け講座「精神障害者福祉講座」が始まりました。
会場は三原病院、送迎を社会福祉協議会と、互いに役割を分担、協力しながら、この年だけで年間18回もの講座を開催。
翌年には、共に地域の精神医療を支える小泉病院が参画。市内全域を網羅できるよう担当地域を決め、二手に分かれて市内をまわるようになりました。
その後、三原市役所等の行政も参画し、三原市の事業として行う、「やさしい精神保健福祉講座」へ発展していきました。
近年は地域行事に当法人から応援に赴き、交流を深めることは日常となっています。背景には地域に少しでも理解してもらい、複雑なことをしてもらえなくていいから「おはよう」と挨拶をして欲しい、そんなささやかな変化を望んだ行動が礎となっています。
これからも地域関係者の方々とのつながりを大切にし、支え合いながら在り続けたいと考えています。
1991年の様子①
1991年の様子②
わいわい喫茶
さつき祭りに3事業所共同で
カレー屋台を出店こころネットみはらまつり(デイケアが参加)
こころネットみはらまつり